女性監督初のアカデミー賞受賞作品としても有名な
イラク戦争での爆弾処理班が主人公のこの映画。
数ある戦争映画の中でも、限りなく「戦争映画」と呼べる数少ない作品の一つではないでしょうか。
世にある戦争映画の大半は「舞台が戦場にある」というだけで
「戦争映画」とは言い難い「青春映画」だったり「スポ根映画」だったり時には「恋愛映画」だったりもする。
だけど、このハートロッカーからは、一切の無駄が削ぎ落とされた
純粋無垢な戦争映画のイロハがつまっている。
長崎で生まれ育った僕は
「戦争」という言葉に人一倍、過剰に反応する。
戦争は人が死ぬ。
戦争は良くない。
映画を見終わった今でもこの構図は変わらない。
爆弾処理班というエキスパートは
大半が希望者だという話も聞いた事がある。
ちなみに自衛隊での爆弾処理班(サリンなどの化学兵器も含む)の
1日の危険手当は5200円以内らしい。
戦場に安全地帯は無いのは承知だけれど
爆弾処理班ほど危険な仕事もそうそう無いのではないか。
ちなみにタイトルの「ハートロッカー」とは
アメリカ軍のスラング用語で「棺桶」という意味らしい。
クールな髪型も、おしゃれな街並みも出てこない
この異常なまで雰囲気の重いこの映画、
どうしてこんなに最近になって気になってきたのだろうか。
そもそも、どうして爆弾処理班に志願する人がこんなに存在するのだろう。
爆弾処理に情熱を注ぐというのは、とても難しい事じゃないだろうかと個人的には思う。
何かに情熱を注げる人というのは、少なくとも最初にソレについての成功体験があるはずなのだけど、
例えばミュージシャンだったら子供の頃に歌が上手だと大人から褒められたとか、
短距離走のアスリートはクラスで一番足が速かったとか、
そんな小さな成功体験があるはずだと思う。
だけど、この爆弾処理班についてはどういう経緯を辿ってこれに興味を持つことになったのだろう。
逆にいうと、
という質問は、普通の環境だと成立しないことになる。
これは、様々な事を解決する考え方かもしれないし、
とても重要な意見を聞き出す事ができる考え方かもしれないと思った。
人に何かを尋ねようとする時
「なぜ〜をしないのか?」
という質問自体、その人にとっては愚問なんではないかと。
フランス語やラテン語を覚えたりする事はあなたの人生を豊かにするし、
森林伐採について深く知ったり、ボランティア活動をする事は悪いことではないけれど
どうしてあなたはやらないの?こんなにやったほうが良いことなのに。
という質問と同じ体質になりかねない。
だから質問するときは
「どうしてそれをやって(選択して)いるの?」
の方が有益な話が出来るという事。
どうして爆弾処理班に志願しないんだと言うよりも
なぜ爆弾処理を続けているのかという質問の方が、明らかに有益な情報が得られそうな気がする。
沢山の失敗を繰り返し、
家族からは呆れ果てられ、
友人からも理解されないこの感覚。
おそらく爆弾処理をする事に、大きな理由はない。
爆弾処理は危険極まりない。死ぬかもしれない。愛している家族が悲しむかもしれない。
無駄な事かもしれない。戦争を長引かせている原因かもしれない。
武器商人の思うつぼなのかもしれない。誰も賞賛してくれないかもしれない。
だけど、俺はやり続けるんだ。
という、このやる人。
男であれば、多少なりともシンパシーを感じる考えだと思う。
どうしてやらないかという質問よりも、
どうしてやっているかと質問の方がきっと有益だ。
だから僕もサロンスタッフには、どうしてnicoで仕事してくれているのか
そういう話しを沢山して、沢山お客様の髪を切っていきたい。
映画の最後のシーンで、任期を終えて戦場から帰って来たばかりの主人公が、自分の生まれたばかりの子供に語りかけるシーンがある。
「その動物のぬいぐるみが好きか? パパもママも、その着ているパジャマも大好きなんだよな。だが知ってるか? 年を取ると、好きだったものもそれほど特別じゃなくなる。このオモチャも・・・ただのブリキとぬいぐるみだと気づく。そして大好きだったものを忘れていく。パパの年になると、残るのは一つか二つ・・・パパは一つだけだ」
そうして小さな子供のいる家族を残して、再び戦場へと帰っていく男。
戦争は麻薬とか、戦闘での高揚感は時に激しい中毒となる、とかっていうテロップが流れていたけど
そういう事とはまた違った感情があるだろう、と思った映画でした。
そして出来たら回り回って、人の役にたっているような
そんなキザな男になってみたいもんだと思いました。
かっこいい男の定義がまた少し変わった。
大切な事はいつも映画が教えてくれる。
いい映画を皆様の生活に。