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CHE 28歳の革命

2019年3月26日

2008年

スティーヴン・ソダーバーグ監督

 

全世界が熱狂したチェ・ゲバラの伝記的映画。

 

 

僕は、14歳の時に中学校の図書館でチェ・ゲバラに出会い

26歳の冬にチェ・ゲバラのお墓参りをキューバまで行った、

自他共に認める、チェ・ゲバラの熱狂的信者であることをお伝えしておこう。

 

14歳の時に図書館で見つけた「ゲバラ日記」は、苦痛と共に読破したが

その時は、なんとも意味が分からず

「ふーん、こんな人が居たんだな。」

程度にしか思っていなかった。

 

まず、

チェ・ゲバラについて知らない人の為に、簡易的に説明しよう。(チェを知らない事は、「君が代」を知らない事くらい恥ずべき事だと心得てください。)

 

もしこの世に

世界一ロマンチックで、

世界一人の為に生き、

世界一心が強く、

世界一信念を持ち、

世界一平等を願い、

世界一かっこいい男が居たとしたら、

 

それがChe Guevara です。

 

ちなみに当時世界中からこんな賛美が寄せられていました。

 

ジャンポール・サルトル

「20世紀で最も完璧な人間」

 

ジョン・レノン

「世界で一番格好良い男」

 

カストロ

「道徳の巨人」

「堅固な意志と不断の実行力を備えた真の革命家」

 

と評された。

 

 

何をした人かというと

歴史上的には「キューバ革命」を成功させた立役者ということになっている。

 

もちろん、チェはキューバ革命を、カストロと共に成功させた英雄だった。

しかし、チェの魅力は歴史的重要人物ということに集約されてはいない。

チェは誰よりも正義を重んじる人だった。

 

 

 

チェはアルゼンチンの比較的裕福な家で生まれた。

医学生になり、南米全土をバイクで旅をしたり

あらゆるところで医療活動をする事をきっかけに

メキシコにて、のちにキューバ最高指導者となるカストロと出会う。

 

 

キューバは当時、バティスタ政権の独裁政治により貧困のピークを迎えていた。

 

資金力も、軍事力も持たないカストロとゲバラは

ゲリラ戦という、危険で困難な方法を使いバティスタ政権と戦うことになる。

この時チェ28歳。

なんという早熟。

全てが規格外過ぎて、嫉妬する気さえ起こらない。

 

 

 

チェ率いるゲリラ軍は、見事ゲリラ戦によりバティスタ政権を倒し

「キューバ革命」を成功させる。

 

 

その後、

キューバでカストロと共に、優雅で贅沢で平和な世界を構築していく、、、、、

と思いきや、チェは早々にキューバを立ち去る。

 

チェは、カストロへ

切なくも優しい手紙を残すことになる。

それがとても素敵で、少年の僕の心を激しく掻きむしった。

 

今回は野暮ったいと思いながらも

全文をここに記しておこうと思う。

 

ハバナ 農業年に

フィデルへ

僕の中には今、さまざまな思い出が去来している。
マリーア・アントニアの家で君と初めて出会ったときのこと、一緒にやろうと僕を誘ってくれたときのこと、革命に向けて準備をしていた緊張に満ちた日々のこと。
あの日、誰からともなく、死んだときには誰にそれを知らせるべきかという話題になって、僕たちは、死が現実にありうるのだという事実に動揺した。
だが、それは本当だった。
革命においては(それが本物の革命であればだが)、勝利か死か、そのいずれかしかあり得ない。そうして多くの同志が、勝利への道半ばで、死んでいった。
今、すべてのことが以前ほど劇的に感じられないが、それは僕たちが成熟したからなのだろう。
しかし、同じことが今なお繰り返されている。
僕はこのキューバの地で革命を行うということに僕が負っていた責任は、これを果たしたと思っている。
僕は君に別れを告げる、すべての同志に、そして今や僕のものでもある君の人民に別れを告げる。

僕は正式に、党指導部としての職務、大臣の地位、司令官の階級、キューバ市民としての資格を放棄する。
僕とキューバは法的には何の関わりもなくなる。
しかし、僕とキューバとの間には、何かの辞令でつながっているのとは違う次元の絆は残る。

過去を振り返ると、僕はキューバ革命の勝利を確実なものとするために誠実に、献身的に働いてきたと思う。
僕が何か重大な誤りを犯したとすれば、それは唯一、シエラ・マエストラでの最初の頃にはまだそれほど君のことを信頼していなかったこと。
つまり、君に指導者としての、また革命家としての資質が備わっているということをすぐには見抜くことができなかったということぐらいだ。
なんと素晴らしい日々だったことか。
ミサイル危機のときの、輝かしくも、しかし過酷な日々には、君のかたわらで僕は人民の一員であることに誇りを感じていた。
あの頃の君ほどに優れた指導者などまずいまい。
僕自身、ためらわずに君に従い、ものの考え方、危険や原則といったものをどう捉えてどう評価するのかというその方法についても、君のものを僕のものにできたことを誇らしく思っている。
世界の中には、僕のささやかなこの力を必要としているところがまだ他にある。
キューバに対する責任がある君にはできないことが、この僕にはできる。
僕たちに、別れの時が来た。
別れていく僕の心の中は喜びと辛さが入り混じっているということを、どうか分かってほしい。
僕はここに、建設者としてのもっとも純粋な希望と、僕の愛するもののうち、もっとも愛しいものを残していく。
・・・そして、僕のことを息子のように受け入れてくれた人民に別れを告げる。
それを思うと、心の一部が切り裂かれるようだ。

僕は、新たな戦いの場に、君が僕にたたき込んでくれた信念、我が人民が持つ革命の精神、すべての義務の中でもっとも神聖なるもの、すなわち、帝国主義があるところならばどこででも戦うという義務を果たすものだという昂ぶる(たかぶる)思いを携えていくだろう。
その思いは、引き裂かれたこの胸の痛みがどれほど深くても、僕に勇気を与え、心をとっぷりと癒してくれる。

もう一度言う。キューバはもはや、僕の行動に対して何の責任を負うものではない。
ただ一つ、僕の革命家としての行動は、これまでも、これからも、キューバにその規範があるという点を除いては。
僕がどこか別の地で最後を迎えるとしたら、そのとき、僕の頭に浮かぶのは我が人民、とりわけ君のことだろうと思う。
君が僕にさまざまなことを教えてくれたこと、手本を示してくれたことに感謝する。
そして、僕の行動の最後まで、そうしたものに忠実であろうと努力するつもりだ。
僕は常に、この革命の対外政策と自分を一体化してきた。
それはこれからも変わらない。
どこの地にいようとも僕は、キューバの革命家としての責任を自覚し、そのように行動するだろう。
僕は子どもたちと妻には物質的なものは何も残せないが、それを恥だとは思わない。
むしろ、そうであることを喜んでいる。
この者たちのために何かを頼むようなことはしない。
なぜなら国家が、生きていくのに、そして教育を受けるのに必要なものは与えてくれるはずだからだ。

僕はまだ、君にも、我が人民にも言い足りないことがたくさんあるのかもしれない。
だが、それはもう言うまい。
言葉では僕の思いを伝えることができない。
だから、これ以上書く必要もないと思う。

勝利に向かって、常に。祖国か、死か。
革命家としての情熱をもって、君を抱擁する。

チェ

 

 

 

こんなかっこいい男がこの世に居たんだ。

僕は人生初の一人旅を、キューバに決めた。

26歳だった。

 

 

今や僕はめっきり右寄りの思想になってしまったような気がするが、

10代の頃は、思いっきり左寄りだった。

 

共産主義の何がダメなことなのか分からなかったし、

真実のためなら、と過激な思想も持っていたような気がする。

 

とにかく体制を引っ繰り返してしまう、そのパワーが欲しくて左派気味だったのかもしれない。

 

しかし、自分で言うのもなんだけれど

幼少の頃に左に偏る事は当たり前の事だと思ったりもする。

むしろ、左を幼少時に経験していない人をどうやって信用しろと言うのかとも思う。

 

おっと、ちょっと危険な香りになってきたけれど

しかし、僕がこのチェに心奪われていた事は間違いない。

 

実は、サロンの片隅にもオシャレに混ざってこんな言葉が飾られている。

 

 

-Si se nos dijera que somos casi unos románticos,
que somos unos idealistas inveterados,
que estamos pensando en cosas imposibles,
nosotros tenemos que contestar,
una y mil veces que sí,
que sí se puede

もし私たちが空想家のようだといわれるならば、
救いがたい理想主義者だといわれるならば、
できもしないことを考えているといわれるならば、
何千回でも答えよう。
「その通りだ」と。

 

 

 

そして主演のベニチオ・デルトロは似過ぎててヒクレベルです。

必見。

 

 

大切な事はいつも映画が教えてくれる。

いい映画を皆様の生活に。

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