五反田駅30秒、美容室nicoをやっております、代表の宮下健太郎です。
2014年にはマレーシアペナンに日系美容室をオープンさせ、2015年には日系美容学校設立を目標に、3流ながらもがんばって美容業界にしがみついていこうと日々考えを巡らせアンテナを張って生きています。
先日久しぶりに長崎へ帰省しました。
美容師人生で初めてのお盆休みだったのではないでしょうか。お店を閉めての3連休頂きまして、皆様にはご迷惑をおかけしました。
お店を閉めて、脳みそフラットな状態で休みが過ごせると思いきや、マレーシアは僕にそんな心の休暇を与えませんでした。。。。。。。
やられたぜマレーシア。君のことを忘れていたよ。。。。
さて、久しぶりに旧友と再会し、毎年恒例の我が家でのバーベキュー大会。もう何回開催されたのでしょうか。
地元の仲間というのは、本当に楽でいいですね。
僕は高校卒業と同時に、18歳で東京に出てきたので今年で16年になります。
長崎を、家族を、友人をここへ置いて上京し早16年。
これか、皆が言っていた時の流れが早いというのは。。。。という感想です。
おじさんたちが、昔僕に言っていたあの言葉を思い出します。
「気づいたら、すぐ30、40、50になるぞ。」
その通り、気づいたら34歳になってました。
僕は18で上京したにもかかわらず、美容師人生を歩き出したのは24歳。
ちょっと遅めのデビューでした。
僕はそれまで何をしていたかというと、ベタベタなのですがバンドばっかりやってました。
当時、サラ金の金利が27%とか29%が当たり前の時代でした。
バンドなんて金にならないし、下手くそバンドだったので借金ばっかりしてましたね。
その額、気づけば
400万円
当時の僕ら(バンド4人で、合計1千万円以上の負債を・・・・)の合言葉は
1曲売れたら億万長者
でした。
若者のもっとも素晴らしく、愚かなことは「無知」「無教養」という事でしょう。
もちろん、億万長者になる事はなく
唯一メディアで紹介された、世の中に出回った音源は、深夜のテレビ番組で6週間一般投票1位を獲った楽曲にも関わらず、使用権10万円というはした金で使用されました。
バンドの夢が敗れ去った瞬間でした。
そこからコツコツと、借金返済の日々が始まります。
美容師をやりつつ、休日は全てアルバイト。深夜もアルバイト。
手取りがようやく40万を超えてきても、手元に残るのはわずかな金額。
そしてそのわずかに残ったお金を、僕は返済に回さずに口座へ。
そう、
夢の出店への貯蓄・・・・・ではなくて
迷惑をかけた実家への仕送り・・・・・ではなく
溜まったら海外旅行いこ。
でした。
そうなんです。使う事ばっかり考えてるんです。
そしてめでたく紆余曲折ありましたが、28歳の時に無事に全額返済します。
そしてその勢いのまま、友人のツテで友人から現金600万円を借ります。
よし、この金で美容室出店しよ。
そう。無謀にも貯金0から、友人に借りた600万円で出店に踏み切るのです。。。。。。
この16年間で、僕は色々捨てて、色々手に入れました。
蝉があんなにうるさいとは。
思ったよりも実家から星が見えなかったとは。
痴呆のばーちゃんがたまにしか会わないのに、覚えてくれていたとは。
長崎の魚がこんなに美味かったとは。
親父が思ったよりも健康思考になってたとは。
みんなが結構おじさんっぽくなってたとは。
思ったよりも、自分の中に地元愛があったとは。
また来年帰ります。
その時は、また変わらず出迎えてくださいませ。
どうぞよろしく。