nico’s VIEW

600万円借りて、出店した時の内訳。

2015年8月22日

五反田駅30秒、美容室nicoをやっております、代表の宮下健太郎です。
2014年にはマレーシアペナンに日系美容室をオープンさせ、2015年には日系美容学校設立を目標に、3流ながらもがんばって美容業界にしがみついていこうと日々考えを巡らせアンテナを張って生きています。

28歳の時に初めて美容室を出しました。

先日の「若者へ。俺23歳の時、借金400万以上あったよ。だから大丈夫だよ。」で、僕が自堕落な生活をしていた事を暴露したところ、なぜか皆さんから応援のお言葉や、質問を頂けたので今回は続編を書いてみたいと思います。

28歳で借金400万円を完済した僕は、友人Aのつてで、その友人Aのさらに友人のBから600万円借りる事が出来ました。しかも借用書なしで。

この時点で、僕は猛烈にラッキーだったと思います。ありがとう。友人Aの友人B。

そして僕は、その友人Aと共同出資という事で、出店に踏み切るわけですが・・・・・・
もちろんそんな事は初めてで、右も左も解らない、何から手を付けていいのやら。。。。

とは全くなら無かったです。

僕はアシスタントの時代から、先輩よりもオーナーと会社の話をしていることが多いくらい経営者思考でしたし、むしろ幼稚園の頃から、地元のうどん屋の席の数を数え、平均単価を算出し、そこの店長の給与計算をし、母親にビンタされた経験の持ち主です。

お金を借りる前から、市場調査を始めていました。

僕は小銭がたまると、すぐに旅に出たり、美容師を辞めたり、ギターを弾いてみたりと、ぷらぷらとしていましたので、自分の指名客というのをほとんど持っていませんでした。
多分友人のようなお客様が10人くらいだったかな。

僕はみんなが憧れるような「オシャレ系、素敵系サロン」をオープンする事は当時は不可能でした。

僕の持っているものは

1、現金600万円

2、美容仲間3人

3、若さ

の3つだけ。

他は、経験も、技術も、知識も、撮影スキルも、コネクションも、なーんにもありませんでした。

そして僕は心に決めます。

っていうか、とりあえずもっとお金欲しい

そうなんです。自分の思い描いた美容人生を送るためには、実績と資金が必要だったんです。

ですから、早々と

「こじんまりした、ゆっくりお客様と過ごせる、オーガニックハーブティを出す、アンティークの家具の、オシャレサロン」

は諦めました。

それよりも

とにかく駅から近くて、初期費用の安い、最低7席作れるテナント

を探しました。そしてそこで現金を手にいれる。それを目標にマーケティング開始。

最低でもJRに私鉄2本、人口増加が毎年2パーセントほどあって、日経、朝日、毎日、読売などが均等に配布されている地区、そしてオシャレなカフェや高級純喫茶よりも、スタバやドトールなどの安めのコーヒー店が多くある地区。全ての乗降者数を過去5年に遡って調べ、大手スーパーやドンキホーテ、その他マーケティングにお金をかけそうなお店を地図上にマッピング。

人の動線を地図上に書き、その理由を考え抜く。

その他に色々色々色々色々色々色々色々色々色々色々色々色々色々色々色々色々色々色々色々色々、やりました。不安を拭い去るように。

そして何も持っていない、僕がはじめに勝負をかけた場所が

錦糸町

ええ、初めまして錦糸町。

スピード違反で一度だけ降りたことのある駅。それ以外に、縁もゆかりもない場所でした。

僕は駅をぷらぷらと歩き、イメージを膨らます。

いけそうだな。

ぼくは錦糸町駅近くの、雑居ビルの5階に初めて自分のお店を出店することになります。

そのお店は「元・出会い喫茶」。

怪しい空気が残っていました。しかも夜逃げしたようで、残機物だらけ。

しかし僕は、残機物に絶望することなく、こう思いました。

まだ使えるものだらけじゃねーか。

そうなんです。お金マジで無かったんです。

レジを買うお金が無かったので、残機物のミニ金庫使ってました。
ソファー買うお金無かったので、残機物そのまま使いました。
美容鏡買うお金無かったので、安い鏡買ってきて自分たちで取り付けました。
カウンター買え無かったので、残機物そのまま使いました。
内装入れるお金無かったので、自分たちでクロス貼りました。
インテリア買うお金無かったので、自分で絵を書きました。

不格好ながら、敷金150万程度でテナントを契約。
水道やガス、電気工事、セット椅子などの備品で200万。
残り、材料や広告費で100万円。

わずか450万円で人生初の「城」を手に入れます。

あとはお客さんが来るのを、シャンプー台で寝て待とう。

そう。やれることをやったら、もう寝て待てと思っていました。

お陰様で初月から大盛況。半年を過ぎる頃には売り上げ500万円を超えるほどになりました。

今考えると、なかなかいい判断でした。底辺を這っていた僕としては、上出来ではないでしょうか。

その後、1年後に今のnicoを出店することになります。

こちらも縁もゆかりもない駅。初めまして五反田。大昔、女子大に用事があって来ただけでした。

今の僕なら、もう少し低いコストで出店も出来るかもなと思います。

その後さらに1号店とnicoは資本を分断し、全く違う会社となります。

わずかな資本で以外とやれるもんです。

600万円の内訳はどんな感じですか?と聞かれますが、僕はこんな感じです。

実は種明かしすると、600万のうち450万でお店を作り、残りの150万は飲みつくしたと言ったところです。

オープン初日なんて、財布に2千円くらいしか入って無かったですからね。

なんとかなるもんですね。

これからおそらく僕の世代(1981年生まれ)は独立ラッシュかと思います。

僕も日々勉強、姿勢を正す日々ですが、僕から何か言えることがあるとすれば「なんとかなるからとりあえずやってみてから考えよう」です。

なんとかなる。家賃や、スタッフの給料はなんとかなる。
むしろなんとかしなければならない。
それが会社をやるということ。

準備万端で人は母親になることも、経営者になることも、日本代表になることもないと思います。

全ては環境が強制的にそうさせてくれます。辻褄合わせです。

もしこれを読んでいる方で、今からリスクを背負い代表として生きていく人が居たら、友達になってくださいw

僕、友達少ないんで!

そしてアドバイスください!待ってます!

ってことで。終盤にかけて雑になってしまいましたが、ここら辺で!

どうぞよろしく。

関連記事