どうも、中園です。
ぽかぽかしてきましたね。
やっとですが、、、、。
わたしは自宅から駅までが15分徒歩でかかります
最近、歩きながら、ばあちゃんのことを思い出します。
ほんと、こんなぽかぽかした、今の時期に
わたしのばあちゃんが倒れたことを。
今日は、私のばあちゃんとについて話したいと思います
当時、倒れた時は仕事で家族が家にいないことが多かったので
日中、ばあちゃん一人を心配した親が、施設にお世話になることになってからの数日後でした。
幸いにも、病院兼施設だったので、ばあちゃんは即急な処置で大丈夫でした。
ちなみに、じいちゃんは
もう二年前から肺がんと腎臓が悪いことから、さきに施設にお世話になってました。
じいちゃんは
ちょー元気で、たくさん食べる人でした 笑
お父さんがお腹に隠して、ジャムパンを毎日持って行ってました
介護士さんに毎日、怒られてました 笑
そんなこんなで
うちのばあちゃんは、じいちゃんを溺愛してたので
この遠距離の二年間は苦痛でしかなかったでしょう。
そして同じ病院兼施設だったので、
じいちゃんと同じところで
家にいた時よりは多少、明るくなった気がしました。
人もたくさんいて
話してくれる人もいて
じいちゃんともタイミング合えば会える距離にもなりました。
わたしたち家族は結果オーライな感じでしたが
ばあちゃんは
お話が好きなのに、口数は減り
自分から近所の人に会いに行くぐらい人が好きだったのに
一人で、座ってる姿しか覚えがないです
周りの人は
同じことを何度も言う、ばあちゃんに対して
認知だと言ってました
わたしもそうだと思ってましたが
介護士さんからは認知ではなく、
話をちゃんと聞いてあげないから、同じことを言いますと指摘も受けました。
それから
話も聞く様に心がけ
じいちゃんの元気そうな写真も見せました。
そうすると
前と同じ様に話しをしてくれる様になり
じいちゃんの顔見るなり
「じさん、、、じさん」
<鹿児島弁で『じいちゃん』を『じさん』と言います。>
と何度もいい、涙目でした。
そして、じいちゃんと再会してから
ホッとしたのか
半月後に
ばあちゃんは亡くなりました。
死因は寿命でした。91歳でした
連絡が来たのが
朝方だったので仕事も休み、飛んで帰った時には
ばあちゃんは、眠ってる様に横になってました。
『よか、死に方じゃ』<いい死に方>
みんな、顔を見にきたときに、そう声をかけてました。
お父さんが最後を見送ったので
何か言ってた?と問いかけると
『おおきにね』
の一言だったみたいです。
常に、人に感謝し、嘘を付かないこと!!
口癖の様に、私に教えてくれました。
最後の言葉を聞いて
『すげーな、、、ばあちゃん』
有言実行。難しい言葉ですよね。
当たり前を当たり前にできない世の中です。
また、
家族ってなんだろうって
自分に問うようになりました。
便利さや快適さ、距離感、慣れなど
『楽になりつつ中で、それが、ベストではないこと』を
一つ一つのコミュニケーション、喜怒哀楽、考える、思いやる、繋がりなど
水のように、誰もが楽に流れに身を任せてしまいますが
水は時に、時を重ねるごと、硬い岩までも砕き、形を変えていってしまうものを忘れてはならないですね。
私は、そう、感じました。
長くなりましたが
私は歩きながら考え事すると
ばあちゃんがの言葉がでてきます。
そして
究極にお腹すくと
ばあちゃんが作ってくれた具がたくさん入ったお味噌汁と醤油加減がいい納豆ごはん。
ちょーーーーうまいっすよ!!! 笑
祖母不幸な孫を、いつも可愛いくて、頭がいい子と
褒めてくれた
ばあちゃんの話でした。